自己紹介

はじめまして 蔡(ちぇ)恵美(へみ)です。

プロの舞台女優として活動しながら 演劇を通したエデュケーション(こどもから大人まで)のファシリテーター、日仏ハーフの二児の子育て+犬の世話をやってます。

https://chehemi.wordpress.com/profile/ (英語表記のあと日本語表記のページとなります)

私は九州で生まれ育った 在日コリアンの三世 で韓国の名前を持つので、自己紹介をするとよく「日本語がお上手ですね」と言われますが、母国語は日本語なのですm(__)m

フランス語は生活に困らない程度、英語や韓国語は残念ながらまるで出来ません。

幼少から小学生の頃に母方の祖父からハングル語を勉強させられて

全く楽しくなかったことを今でもよく覚えています。

祖父は16歳の時に仕事を求めて単身日本(大阪)に渡ってきた人です。

学業が大好きだった彼の将来の夢は 

“小さな寺子屋を作ってこども達に教えること” でした。

日本語は 朝鮮(今の韓国)に居た時から自分でコツコツ勉強していたそうです。

そんな情熱のある祖父だったので、再三にわたり私にハングルの勉強を試みてきましたが

ことごとく失敗に終わりました(ごめんなさいおじいちゃん、今は後悔しています。)

私はおじいちゃん子だったので祖父の気持ちは非常によく分かりましたし、その気持ちに答えたいと思っていたのですが、正直つまらなくて仕方がありませんでした。

一生懸命教えてくれる祖父を前にして正座をしているだけで「何も」頭に入ってきませんでした。

“早く終わらないかな” とそればかり考えていましたが、大好きなおじいちゃんをがっかりさせてはいけないと嫌々ながらも正座だけはしているという状態でした。

“なんで使わん言葉を勉強せないけんと?” 

父母方の両祖父母共に 普段は日本語で生活していましたが、たまにある同郷の人たちとの集まり等では韓国語を話していました。彼らの会話はちんぷんかんぷん。

それを目の当たりにする度に、目の前にいる自分の祖父母が別人のように思えてなりませんでした。

集まった “朝鮮の人たち” はお酒を飲みながらとても楽しそうに笑ったり踊ったり、

中にはチョゴリを着ているおばあちゃんも居たりして異国情緒たっぷりでした。

でも普段はみな日本語で生活していて、日本語はネイティブと言って過言でないほどでしたし、日本に生まれ日本語が母国語として育った両親の元で、同じように生まれ育った私にとっては全く必要のないツールでした。

ある時、ご縁のあった某劇団のプロデューサーの方から

アジア諸国のこども達に「演劇を通した教育(シアターエデュケーション)」をやってみないかというお話しを頂きました。

それを機にプロの舞台女優としてだけではなく、ファシリテーターとしても活動し始めました。

まだ赤子と幼児だったこども達を連れて毎年アジアの国々へ赴き、現地のこども達へ シアターゲームや即興劇、歌、ダンス等も取り入れた創作劇等々のワークショップを行いました。

この経験で

「演劇は言葉の壁を超えるが、言葉を用ればより自己表現する喜びが強くなる。」

そしてこども達の自主性と協調性がどんどん育まれていくのを目の当たりにし、

「演劇のメソッド(シアターゲーム)を用いた教育の素晴らしさと必要性」

を痛感しました。

それ以来、今まで以上に私は日常生活の中で “演劇” を通して子育てをすることを意識するようになり、渡仏してからはそこに “日本語” も大きな要素として加わりました。

自分のこどもの頃の苦痛だった体験と、シアターエデュケーション・ファシリテーターとしての経験と実績のおかげでフランスに住む日日・日仏家庭のこども達にも「演劇」という素晴らしいツールを通して

「遊び=学び」の「場」を提供したいという新しい目標ができました。

2021年から1年間パリでワークショップを行い、2022年より改めて「日仏こども日本語演劇教室」を開催し始めました。

「演劇」という人間形成に必要な要素がたくさん詰まった素晴らしいアートを体験しながら、更には

日本語で表現する喜びを味わって貰えたら、と日々頭の中で思いを巡らせ試行錯誤しています。

パリ日本語演劇クラブ

演劇メソッドのひとつであるシアターゲームを通して、五感をフルに使い遊びながらコミュニケーション能力や主体性と協調性、発信力、人間関係を良くする方法、などなど世界に羽ばたいていく基礎が身につきます!大人の方はもちろんのこと、お子さまには日本語で表現する喜びもあわせて伝えていきたい!演劇・シアターゲームという素晴らしいツールを体験しませんか?表現する力があるかないかで人生が変わります!